お母さんと子どもの和み処〜心和〜の日記

0〜5歳のお母さんと子どもが笑顔になれる場所を目指して活動しています。

今日という日を楽しみにしていました

先日お越し頂いたS様は
私がバリラボの技術試験に合格して


初めてセラピストデビューをした
ルララカフェでお会いした客様で


初セラピストの施術のお二人目の
ご縁を頂いた方でした。

 


S様のお住まいの近くにも
素晴らしいサロンは
沢山ありますが

 


そんな中でわざわざ
ご自宅から片道1時間以上かけて
遠いところをお越し下さいました♡

 


本当に有り難い事で
心から感謝の一日でした!

 


お顔出しは恥ずかしいからという
とっても可愛らしいS様(右)と私(左)♡

f:id:kokona-88:20180826025839j:image

 

ルララカフェの時には
覚えたてホヤホヤのヘッドマッサージを
「気持ち良かったです」
と、とても嬉しいお言葉を頂きました♡

 


あの時

 


「お役に立てる事が出来るなら」と

思い切ってチャレンジしてみて


今回の素敵なご縁に繋がったので
本当に嬉しいです♡

 


そして、とても有り難いことに
私のブログも、いつもお読み頂いて。

 

 

ブログの共通の話題も楽しかったです♡

 


その私のブログの記事の中でも
tokadinさんという

f:id:kokona-88:20180826024956j:image


世界をご夫婦で旅しながら
マクラメ編みをされている方の記事を読んで

 


「作品が見てみたかったです!」と

 


足湯の間に
マクラメ編みの作品達を
光に当ててみたり
石の模様を楽しんだり

f:id:kokona-88:20180826025033j:image

f:id:kokona-88:20180826025051j:image

f:id:kokona-88:20180826025105j:image

f:id:kokona-88:20180826025120j:image

気になった石がどんな石なのか?を
tokadinさんからお預かりしている
「石の本」を見て調べてみたり。

 

ゆったりとお楽しみ頂きました。


その中で素敵なご縁があり

マクラメ編みの指輪もご購入頂きました!

f:id:kokona-88:20180826025608j:image

S様はお家のご都合で
11時〜14時までの間でしたが


心和の近所の古民家カフェで
天然酵母の手作りパンを購入したり


オリエンタルジャムゥセラピーを
お楽しみ頂きました。


日々お仕事やお家の事で
とても良く頑張られているS様に


少しでも心も身体も
ホッと一息ついて頂いて
お楽になって頂けたら嬉しいなぁ〜と


今の私に出来る精一杯の
真心を込めて
オリエンタルジャムゥセラピー®︎を
施術させて頂きました。


S様からのご感想も頂きました♡

f:id:kokona-88:20180826025636j:image


オリエンタルジャムゥセラピー®︎は
恩師の中元香先生が
昨年商標登録されたばかりで


全国にもまだまだ珍しく
心和のサロンで9店舗目になるそうです。

 

また、tokadinさんの作品達は
素敵なご縁を頂き
心和で委託販売させて頂いています♡


↓光の加減で色が変わるんです♡

f:id:kokona-88:20180826025713j:image


↓石の自然な模様に惹き込まれます♡

f:id:kokona-88:20180826025728j:image


↓ブレスレットやヘアゴム等もありますよ〜

f:id:kokona-88:20180826025815j:image


他にもニャンドゥティのピアス等
素敵な作品たちを見るだけでも楽しい!

 


S様は
「また次に来るたびに記念に
一つずつ買って帰ります♡」
と嬉しいお言葉を頂きました!

 


心和にお越し頂いて


本日気になった香り
本日気になった色
本日気になった景色


嬉しくて心地よい時間
笑顔になれる瞬間

 


一つ一つに必ず意味があります。

 


あなたとの
一期一会の素敵な出会いに
心から感謝しています。

 


これから益々自分らしく
心も身体も元気に生きていく為に
心和をお使い頂けたら嬉しいです♡

 

 


S様本当にお会い出来て嬉しかったです。
ありがとうございました♡

 

 


今日も最後までお読み頂き
ありがとうございました。

 


*バリ島と日本の薬草(ジャムゥ)を使った
体質改善と、より日本人の身体に合わせた
ヒーリング効果の高いオイルセラピー
【オリエンタルジャムゥセラピー®︎】
 
*女性限定、1日1組のご褒美サロンです
 
『オリエンタルジャムゥセラピスト』
心和(ここな)  須藤和子
 

自己紹介④

2018年4月1日から
アメブロでブログを始め
 
毎日欠かさずにブログを更新しながら
今日で4ヶ月と23日が経ちました。
 
 
昨日までに全148記事
読者登録は91人
 
おかげ様で
2018年8月8日には
 
1日1組、女性限定で
バリ島と日本の植物の力を利用し
体質改善や手からの癒し効果が
期待出来るという
「オリエンタルジャムゥセラピー®︎」と
 
25年間勤めた公立保育所と療育園の
経験を生かして0〜5歳までの
「子育てアドバイザー」として
 
 
大阪府岸和田市にある
築100年以上の元茅葺屋根の
古民家自宅サロン
『お母さんと子どもの和み処〜心和(ここな)〜』
を無事オープンさせる事が出来ました。

 

 


皆さまに心から感謝申し上げます。
 
 
 
大阪府岸和田市の山手にある
お母さんと子どもの和み処『心和』
 
●オリエンタルジャムゥ®︎セラピスト
&子育てアドバイザー
 
『心和』オーナー須藤和子のプロフィール④
 
 
自己紹介①〜誕生から幼少期(0〜6歳)まで
 
自己紹介②〜小学校から短大(6〜20歳)まで
 
 自己紹介③〜就職から20年(20〜39歳)まで
 
〜今日は40歳から現在までです〜
 
 
 
【2013年(40歳)〜シングルマザーに】
 
残っていた家のローンも娘の学費も、ほぼ全てを自分が支払うようになり、病気で長期に休職していた時に貯金も使い果たしていたので、0からの再出発。
 
病気の時には全く笑う事が出来なくて、笑顔を忘れ苦しそうな顔ばかりだったので、病気の回復後は「これからは一生笑って、笑顔で生きて生きたい!」「心と身体が元気に動けば、あとは生きてさえいたら何とかなる!」と、自分にも周りにもずっと笑顔で居続けたいと思うようになりました。
 
自分のハンドルネームもニコちゃんと名付けて、いつも笑顔を心がけるようになり、つい最近では「安定の笑顔」とか「寝ている時も笑顔」とまで言って頂けるようになりました。なりたい自分に近づく事が出来て、とても嬉しく感じています。
 
 
【2015年(42歳)〜療育園に勤務】
 
前年度は公立保育所こども園に変わる年で、毎週のように幼稚園と保育所との話し合いが続き、日々の業務と新しい事業に向けての同時進行の日々。それでも職員はなるべく子ども達にとって良い方向を目指して奮闘していましたが、年度末の発表では私の異動先はこども園ではなく療育園でした。
 
公立の療育園は全国的にもとても珍しく、訓練士が園に在籍していて、日々の連携が取れるのも魅力的で、しょうがいのある子ども達にとって、また保護者の方々にとって、より良い療育を受けることが出来るような学びの機会が豊富にあり、目から鱗のような学びの日々。
 
また、療育園で勤めて数十年というベテランの職員も在籍し、新しく異動してきた職員へのフォロー体制や職員間の学びの機会も充実し、まさに理想的な環境でした。
 
特に長年勤めてきたからこそ成人期までの育ちを見通せる職員がいることで、目の前のことだけでなく未来を見据えながらの支援が出来るのは、保護者の方にとっては心強いし素晴らしいと感動し、自分も定年退職までの残りの人生を療育園で出来るだけ長く勤めたいと思うようになりました。
 
 
【2016年(43歳)〜追突事故に遭う】
 
お正月明けの出勤時、赤信号で車が止まっていた時に、いきなりドーンと衝撃が走り、前を見ていなかった後方車との追突事故に遭いました。
 
私の一つ前の車は大型トレーラーだったので、追突事故が逆の車でなくて幸いでしたが、教育実習先の園児が昔大型トレーラーとの追突事故で亡くなった事もあったので、まさに一寸先は闇だと改めて感じました。
 
むち打ちがひどくて寝たきり状態になり、改めて健康の大切さを痛感しました。心と身体が元気に調和していないと、身動きが取れずに自分らしい人生を生きる事も難しくなってしまう為、それからはリハビリや筋トレで身体づくりを心がけるようになり、事故前よりも更に元気いっぱいに回復しました。
 
運動と食事を見直し、一年間で体重ー10キロ、体脂肪ー10%という体質改善を達成して「人生、いつからでも遅くはない!何歳からでも健康的な身体づくりは出来る!」と実感出来ました。
 
 
【2017年(44歳)〜運命的な出会い】
 
仕事の復帰後は市内の職員研修の専門部会の中で私は「言葉部会」の担当になっており、よく年は 副部長になりました。会議の司会進行やまとめの打ち合わせの中で「まずは自分が学んで少しでも分かった方が進めやすいだろう」と5月に開催された『みんなで保育を考える集会』の『言葉』の学びに参加。


その講師が後に私の運命の人となる言語聴覚士(ST)であり、自宅でバリニーズサロン『丘の上さろんLucu*Lucu(ルクルク)』をされている松野祐美子さんでした。


最初は「自主研修だし日曜日の天気の良い日に研修〜やっぱり遊びに行きたいなぁ〜」なんて思いながら1番後ろの席に座って聞いていたのですが、途中からグイグイ引き込まれて泣いたり笑ったり。午後からは「1番後ろの席では勿体ない!」と1番前の真ん中に座って聞いていました。


その時に「こんな素敵な方ともう一度お会い出来たら嬉しいなぁ〜」と思っていた時に自宅サロンのお話があり、帰りの電車の中で検索して6月6日に予約を入れました。


そこで出会ったバリニーズがまた感動モノ!魂がスーっと取り出されて綺麗に洗われるかのような感動に、また来たい!と思ったのですが、あいにく小さなお子さんがいる為土日はお休みされていたのです。


そこでお師匠様はもっと凄い方に違いない!と翌月の予約を入れて伺うと・・・恩師の中元香先生の施術は、またまた感動の嵐!バリの景色が浮かんでくるような泣けるくらいに心が緩んで「こんなに気持ちいいマッサージを子ども達にもしてあげたいな〜」とその日の帰りにはバリラボスクールに申し込んでいました。


そして、昨年秋からスクールがスタート。2ヶ月に1度のゆる〜いペースで通って、お昼寝の時間に復習も兼ねて子ども達にマッサージしてみると、それまでなかなか寝付けなかった子どもがウトウトと眠れるようになり「凄い!これはいい!」と感動しました。


その後親戚のお葬式に参加した時に「家族を大切に出来るのは生きてる間しかない」「今、家族との時間を大切にしなければきっと後悔する」と強く感じて、自分の働き方を考える機会になりました。

 


【2018(45歳)〜仕事を退職し自宅サロンへ】


3月31日に25年間勤めていた公立保育所と療育園を退職し、娘が小さな頃から「退職したら自宅を開放してお母さんと子どものサロンを作りたい」と思っていたので自分の夢を実現する為に毎日開業に向けて学んだり、サロンの準備をしたり、沢山の人と繋がったりと奮闘する日々でした。


4月1日からはアメブロをスタート。毎日出会いや感動を言葉にして綴る事で、自分が何を考えてどうなりたいのか?目指すところは何か?「誰のために、何のために、どうするのか?」が少しずつ見えてきました。


今年の5月には奈良セラピスト合宿に参加したり素晴らしい先輩方との出会いを頂いたり、無事に技術試験にも合格し、一年前に運命的な出会いを頂いた6月6日の一粒万倍日には、自宅サロン『心和』をプレオープンして、恩人の松野祐美子さんをお招きし、ご恩返しをさせて頂ける幸せにも恵まれました。


プレオープンは自分が心おきなく「お客様と共に最高の1日を作り上げていく」チャレンジがしたくて無料でモニター様を募集し、おかげさまで8月のオープンまでのご予約が満席となり、お越し下さった皆さまもとても素敵な方ばかりで嬉しいご感想や為になるアドバイスを頂けて勉強になり、ありがたかったです。


8月8日のオープン以降も隣組の皆さまからお祝いのお花を頂いたり、恩師の中元香先生やベテランの先生方にお越し頂いたり、ブログからのお客様のご予約を頂いたり、ゆめのタネラジオのご縁を頂いたり、自分の為の時間も作れたりと毎日が感謝の日々です。


皆さま本当にありがとうございます。
これからもよろしくお願い致します。

 

 

 


 
今日も最後までお読み頂き
ありがとうございました。
 
 
*バリ島と日本の薬草(ジャムゥ)を使った
体質改善と、より日本人の身体に合わせた
ヒーリング効果の高いオイルセラピー
【オリエンタルジャムゥセラピー®︎】
 
*女性限定、1日1組のご褒美サロンです
 
『オリエンタルジャムゥセラピスト』
心和(ここな)  須藤和子
 
 
 

自己紹介③

 
2018年4月1日から
アメブロでブログを始め
 
毎日欠かさずにブログを更新しながら
今日で4ヶ月と22日が経ちました。
 
 
昨日までに全147記事
読者登録は90人
 
アクセス数は
4月700人台
5月1000人台
6月2000人台
7月3000人台
本当に有り難い事です。
 
 
おかげ様で
2018年8月8日には
 
1日1組、女性限定で
バリ島と日本の植物の力を利用し
体質改善や手からの癒し効果が
期待出来るという
「オリエンタルジャムゥセラピー®︎」と
 
25年間勤めた公立保育所と療育園の
経験を生かして0〜5歳までの
「子育てアドバイザー」として
 
 
大阪府岸和田市にある
築100年以上の元茅葺屋根の
古民家自宅サロン
『お母さんと子どもの和み処〜心和(ここな)〜』
を無事オープンさせる事が出来ました。

 

 
 
 
 
 
皆さまに心から感謝申し上げます。
 
 
 
大阪府岸和田市の山手にある
お母さんと子どもの和み処『心和』
 
●オリエンタルジャムゥ®︎セラピスト
&子育てアドバイザー
 
『心和』オーナー須藤和子のプロフィール③
 
 
〜誕生から幼少期(0〜6歳)まではこちら〜
 
〜小学校から短大(6〜20歳)まではこちら〜
 
 
 
〜今日は就職から20年(20歳〜39歳)まで〜
 
 
 
【1993年(20歳)〜公立保育所に就職】
 
初めての勤務先は3世代が同居し、周りが山と田んぼに囲まれた農村地帯。毎日散歩に出かけ山登りや土手滑り、田んぼのあぜ道を歩きオタマジャクシやカエル見つけ、トンボ採りやザリガニ釣り、草花で花かんむり作りと自然の中で遊ぶ日々。
 
自然と共に過ごす子ども達は目を輝かせて生き生きと育ち、3世代の地域の環境も合わせ、大人と子どもと共に手を繋ぎあってみんなで育ち合えるのが何よりも子育てにとっては宝物なのだと感じました。
 
 
【1996年(23歳)〜結婚〜】
 
16歳の時に出会い、17歳からお付き合いしていた元夫とは23歳で結婚。結婚当初は団地住まいで狭いながらも楽しい我が家。
 
 
【2000年(27歳)〜妊娠、出産〜】
 
早く子どもを授かりたかったものの、なかなか恵まれず、結婚4年目に卵管造影の予約を入れた日に妊娠の神様と噂の産婦人科の名誉院長が目の前を通られ「妊娠の神様を一目見た人は授かるらしい」という噂にあやかるように卵管造影の検査の2日前の7月7日に妊娠が分かり「奇跡!」とビックリ!嬉しかったです。
 
妊娠がわかった2週間後には出血し切迫流産との診断。トイレ以外は安静にと寝たきり生活開始。つわりの時はトマトしか食べられず、生まれた娘もトマト好きで偶然に笑いました。
 
予定日の1日前に破水して病院に駆け込み、無事に出産。初めての出産で心細い中「出産は病気じゃないしみんな経験する事だから、それくらい我慢しなさい」的な看護師さんの事務的で厳しい言葉や態度に悲しくなるが、後から交代した助産師さんは「大丈夫よ〜」と何度も心温まる励ましの言葉をかけてくれたのが嬉しくて「この人でよかった!」と安心して出産できました。
 
出生直後に娘の足の指が1本曲がっている事に気付き「あっ」という看護師の動揺した声を聞き一瞬不安になるが「指がついていたら大丈夫!」と優しく諭すような助産師の声に「大丈夫なんや〜」とホッと安心。その後の子育て中も「大切な事は何か」という本質を見失わないようにしようと心の支えになりました。
 
物事は同じなのに、相手の言葉の掛け方や態度一つで気持ちが大きく左右される経験から「人への言葉がけや眼差しは相手に気持ちの良いものを送れるように心がけよう」と感じました。
 
生まれた娘は目に入れても痛くないという言葉通りの可愛さで、仕事の復帰までの10ヶ月ひたすら育児を楽しみ、仕事と家庭の両立の中でも「家の中では保育士にならずに、あなたのそのまんまでお母さんに」という娘の担任の先生の温かな言葉で「〜しなくちゃ」という思いから解放されて、ただただお母さん業を楽しむようになりました。
 
娘が生まれた年に、今の我が家がオープンハウスの広告に出ていて「自分達の力では建てられないから一度見に行くだけでも価値がある」と見に行き一目惚れ!ご縁を頂き引越しました。
 
村中の人はほぼ全員同じ名前という親戚一同の村でしたが優しく受け入れて下さり、町内の取り組み(大溝堀りやお地蔵様のお花当番や地蔵盆の提灯つけ、班の旅行、お月見の行事、子ども会や地車の仲間入り)など、外から来たからと仲間はずれにする事なく親子共々育ててくれました。
 
「今日は挨拶の声が小さくて元気がなかったから何かあったん違う?」「今日は家の鍵を忘れたらしくてウチの家でテレビ見てるよ」など、娘の事も村の中でみなさんのお力をお借りしながら大らかに育てて貰えたのが本当に有り難いです。だから村中の子ども達は素敵な子が多いんだなぁと、昔の謎が解消しました。
 
 
【2009年(38歳)〜夫の病気から共倒れ〜】
 
夫と共に村中の子ども会の四役をさせて頂いた年に、私も全国的な保育の集会の実行委員の副部長にあたり、仕事の合間を縫って大阪市内の会議に何度も参加。お世話になった皆さまのお役に立てる事に喜びを感じていた矢先に夫が病気で入院。
 
同時に色んな事が重なり過ぎて、看病疲れもあり私まで倒れてしまうが「入院すれば治るのは早くなるが、治りが遅くても母親は子どもの側にいた方がいい」との夫と私の共通の主治医の総合的な判断からの勧めで自宅療養をスタート。
 
食事も取れず弱り果て、ただ寝たきりの日々。何も出来ない母親だったが、小5の娘が「お母さんは息を吸って、息を吐いていたら、それで良いんやで〜」と言ってくれた時に、ハッと目が覚め、そこから玉ねぎの薄皮をむくように回復に向けてリハビリを始めて復活し、仕事にも無事に復帰できました。
 
元夫とはお付き合いから20年後に離別。「20年間寄り添ったから、ちょっと早い熟年離婚やと思ったらええかな〜。」と思えるまでは時間がかかりましたが、病院の先生の「あなたは何がしたいですか?どんな人生を送りたいですか?」という言葉は宝物になり、まずは自分の事を1番に幸せに大切にしよう!と思えるようになりました。
 
 
この20年間は何度も生死を意識するような、人生の最高の喜びや悲しみと思えるような経験する事で、「今」は一瞬で過ぎ去るから「とにかく生きてたら何とかなる!」「何があっても大丈夫!」「当たり前なものは何もないから目の前の事に感謝しよう」「この世は奇跡の連続なんだ」と一期一会の日々の出会いを大切にしたいと思うようになりました。
 
 
 
〜運命の出会いから起業の道に続きます〜
 
 
 
今日も最後までお読み頂き
ありがとうございました。
 
 
*バリ島と日本の薬草(ジャムゥ)を使った
体質改善と、より日本人の身体に合わせた
ヒーリング効果の高いオイルセラピー
【オリエンタルジャムゥセラピー®︎】
 
*女性限定、1日1組のご褒美サロンです
 
『オリエンタルジャムゥセラピスト』
心和(ここな)  須藤和子
 
 
 

自己紹介②

2018年4月1日から
アメブロでブログを始め
 
毎日欠かさずにブログを更新しながら
今日で4ヶ月と21日が経ちました。
 
 
昨日までに全146記事
読者登録は90人
 
アクセス数は
4月700人台
5月1000人台
6月2000人台
7月3000人台
本当に有り難い事です。
 
 
おかげ様で
2018年8月8日には
 
1日1組、女性限定で
バリ島と日本の植物の力を利用し
体質改善や手からの癒し効果が
期待出来るという
「オリエンタルジャムゥセラピー®︎」と
 
25年間勤めた公立保育所と療育園の
経験を生かして0〜5歳までの
「子育てアドバイザー」として
 
 
大阪府岸和田市にある
築100年以上の元茅葺屋根の
古民家自宅サロン
『お母さんと子どもの和み処〜心和(ここな)〜』
を無事オープンさせる事が出来ました。

 

 


 
 
皆さまに心から感謝申し上げます。
 
 
そして
一昨日の一粒万倍日に、また新たなご縁を頂き
はてなブログ』もスタートしてみました。
 
 
 
また新たなチャレンジの始まりです。
しばらくはアメブロの記事を貼り付けて
様子をみてみようと思っていますので
アメブロはそのまま続けていきますが
改めて自己紹介をさせて頂きますね。
 
 
 
大阪府岸和田市の山手にある
お母さんと子どもの和み処『心和』
 
●オリエンタルジャムゥ®︎セラピスト
&子育てアドバイザー
 
『心和』オーナー須藤和子のプロフィール
 
 
〜誕生から幼少期(0〜6歳)まではこちらから〜
 
〜今日は小学校から就職(6〜20歳)までです〜
 

 


【1979年(6歳)〜小学校に入学&斜頸の手術】


小学校に入学後に、斜頸の手術をする事になりました。手術は全身麻酔で天井の丸いライトや口からの全身麻酔が子ども心に印象的でした。手術よりも終わった後のリハビリの方が痛くて辛くて、何度もリハビリを嫌がって抵抗した日々。


お医者様や看護師さんは、リハビリを嫌がる私に優しくて、何とかなだめすかしながらも私のタイミングを待ってくれて。今となっては本当にありがたかったです。

 


また電車に乗ってネイティブの英会話スクールに通っていましたが、全く分からず苦手意識だけが残り、中学校からの英語の勉強も苦手意識からほぼ全く勉強せずに終わりました。


同じスクールに通っていた友達は今では英語ペラペラでハワイに移住。人生受け取り方で道が大きく変わって行くのだなぁとしみじみ感じます。


ある日切符を落として駅で困って泣いていたら、親切なおばさんが話しかけてくれて、駅員さんに話をしてくれて助かりました。その時に「困っている人がいたら、私がしてもらって嬉しかったように、周りの人にも親切にしよう」と思いました。

 


【1980年(7歳)〜引っ越しをする】


同じ岸和田市内の団地から新興住宅地に引っ越しました。新しく出来た友達はクリスチャンの一家で、日曜学校に誘ってくれました。賛美歌のハーモニーの美しさに心が震えるほど感動。日曜学校からキャンプに参加したり友達と一緒に遊ぶのが楽しかったです。

 


【1981年(8歳)〜仲良しの友達が出来る】


この年に友達になった子は、学校では一切喋らず首を縦に振りうなづくか、横に振るかで意思表示をする子でした。


学校では一切喋らないのに、家に帰るとめちゃくちゃ普通に喋る変わりぶりに最初はビックリしましたが、そんなものかな〜と受け入れ、次第に仲良くなるにつれて学校では私の耳元で囁いて、私が先生やみんなに伝えるという役目が生まれました。


私の中では、学校で喋らないだけで、とにかく普通の子だと感じていたので、少しずつ周りに理解されていって、周りの友達がどんどん話しかけたり繋がっていき、私以外の友達が増えていくのが嬉しかったです。


必然的に私とその友達とが話す時間が減っていきましたが、友達がみんなと嬉しそうに過ごしている姿をみて「これで良かったんだ」と子ども心に思いました。


ただ、普通だと思っていた友達が中学生になる時に支援学校に進む事になった時は「人前で喋らないだけで他は至って普通なのに何で?」となんとも言えないショックを受けた記憶があります。
しょうがいという生きづらさのある人の人生に初めて触れた時期。みんなちがってみんないいのにと、子ども心に、ちょっぴり悔しかった思い出があります。

 


【1983年(10歳)〜地元の学習塾に入る】


地域の塾に入ると、現在住んでいる地域の村中の友達も居て、村中の子ども達の育ちの良さは子ども心に感動でした。


スレてない、人とコミュニケーションがキチンと取れる、親切、人の為に力を出し惜しみしないなど、尊敬出来る友達が出来た事で、子ども心に「どうやったらこんな良い子が育つのだろう?」と不思議に思って感動しました。(その疑問は20年後に村中に引っ越して解消しました)


小学校の担任の先生は、30歳になったばかり。暇があれば常にギターを弾いてみんなで歌ったり、休日にはソフトボールをしたり、生徒と全力で遊びを楽しむ姿が素敵な先生でした。


平和の大切さや人への思いやりの大切さを話し続け、卒業の色紙に「自分に厳しく人に優しく」と全員に同じ文章を書いてくれたのが印象的でした。

 


【1985年(12歳)〜中学校に入学】


フォークソング部に所属。手が小さいのでなかなか弦を押さえられず悪戦苦闘し、遂には諦めて歌を歌ったり、ハモリのパートで楽しむような、ゆる〜い部活を楽しみました。憧れる友達に影響されて、いろんな事をとことん楽しんだ時期。


受験勉強はそこそこだったけれど、学校の先生に「ここなら入れますよ」と言われた学校は『定期があれば休日に都会に遊びに行ける!』という遊びメインの理由だけで即決しました。

 


【1988年(15歳)〜四天王寺高校に入学】


洋舞という踊りのバレエの部活に入るものの、一年でダンス部と洋舞が合体することになりました。部活は先輩との上下関係がとても厳しくて、廊下の端に先輩の姿を見かけた途端に90度にペコペコと先輩が通り過ぎるまで挨拶し続けたり、先輩の荷物は率先して持ったり、宝塚歌劇団のような感じ?と、それさえも内心楽しんでました。


文化祭では始発の電車に乗り、終電で帰る位ひたすら練習し、当日もかなり盛り上がりました。
当時の花博にも出場して良い思い出になりました。


その頃から元夫とお付き合いをはじめて、ひたすら遊んで楽しい時期。勉強そっちのけで遊んでいたら、当時70歳の先生が「こんな成績の悪い生徒は今までみた事がない」という位のなんとも酷い赤点になりました。


見兼ねた友達が「分かってないと人にも教えられないから、私も復習になって良いから一緒に勉強しよう」と誘ってくれて夕陽丘図書館の自習室で勉強を始め、おかげ様で何とか平均点まで持ち直しホッとしました。


進路も学校のエスカレーター式に乗せてもらって、そのまま自校推薦枠で四天王寺国際仏教短期大学に入学したので、中学校に続いて受験勉強知らずで進学しました。

5年間の仏教学校生活では般若心経は何も見ずに唱えられるようになりました。

 

 


【1991年(18歳)〜四天王寺国際仏短期大学保育課入学〜


入った華道部は月に一度のゆる〜い活動なのに、更に遊んでほぼ参加せず。なので文化祭の時に先生の手直しがほとんどの作品を見て、プロは凄いな〜と呑気に感動していました。


手話サークルにも入り、聾者との交流から当事者の思いに気づいたり、貴重な経験になるものの、手話はほぼ覚えられずに終わりました。


勉強では哲学や心理学が楽しかったです。
そして、短期大学時代は何より教育実習が楽しくて、どの園に行くのもワクワク自分が一番楽しんでいました。

 

その教育実習中にバイクで転倒事故に遭い複雑骨折と脱臼で3ヶ月のギプス生活を余儀なくされ「あと5分意識が戻らなければ命はなく、別の部屋に入っていたかも知れない」と後から言われたものの奇跡的に復活。その時に「生まれ変わって新しい命を頂いたんだ」と思いました。


就職活動の時期の事故だったので、就職を諦めて4年大学の教育学部への進学も視野に入れていましたが、有り難い事に教育実習先の2園共に就職のお声がけを下さいました。


どちらの園も良い面もありましたが、一方で、我が子と共に出勤が出来るけれども熱が出た時、そのままみてもらえるので仕事を切り上げて帰りにくい事や、次の新採さんが入ってきたら必然的に古い人は辞めないといけないような雰囲気を目の当たりにして、子どもにとって一番良い事が追求出来る公立保育所に勤めたいと思いはじめ、無事に公務員試験に合格。


公立保育所に22年間、その後しょうがいのあるお子さんの通う公立の療育園に3年間勤務、合計25年間勤務する事になりました。

 


〜社会人編に続きます〜

 


 
今日も最後までお読み頂き
ありがとうございました。
 
 
*バリ島と日本の薬草(ジャムゥ)を使った
体質改善と、より日本人の身体に合わせた
ヒーリング効果の高いオイルセラピー
【オリエンタルジャムゥセラピー®︎】
 
*女性限定、1日1組のご褒美サロンです
 
『オリエンタルジャムゥセラピスト』
心和(ここな)  須藤和子
 
 
 

自己紹介

2018年4月1日から
アメブロでブログを始め
 
毎日欠かさずにブログを更新しながら
4ヶ月と20日が経ちました。
 
 
昨日までに全145記事
読者登録は90人
 
アクセス数は
4月700人台
5月1000人台
6月2000人台
7月3000人台
本当に有り難い事です。
 
 
おかげ様で
2018年8月8日には
 
1日1組、女性限定で
バリ島と日本の植物の力を利用し
体質改善や手からの癒し効果が
期待出来るという
「オリエンタルジャムゥセラピー®︎」と
 
25年間勤めた公立保育所と療育園の
経験を生かして0〜5歳までの
「子育てアドバイザー」として
 
 
大阪府岸和田市にある
築100年以上の元茅葺屋根の
古民家自宅サロン
『お母さんと子どもの和み処〜心和(ここな)〜』
を無事オープンさせる事が出来ました。

皆さまに心から感謝申し上げます。
 
 
そして
昨日の一粒万倍日に、また新たなご縁を頂き
はてなブログ』もスタートしてみました。
 
 
 
また新たなチャレンジの始まりです。
そこで、改めて自己紹介をさせて頂きますね。
 
 
 
大阪府岸和田市の山手にある
お母さんと子どもの和み処『心和』
 
●オリエンタルジャムゥ®︎セラピスト
&子育てアドバイザー
 
『心和』オーナー須藤和子のプロフィール
 
 
〜幼少期(0〜6歳)〜
 
 
【1972年9月13日〜誕生】
 
9月13日という不吉な数字続き?の台風の嵐の中で逆子、帝王切開で生まれる。
 
斜頸で始終首が片側に傾き、股関節脱臼の為ギプスのようなおしめをしていたので、ハイハイをするのも歩き出すのも遅かったそうで、母はずっと自分の事を責めていたという事ですが、私の前では、そんな姿は見せずに、両親共に私を愛情たっぷりに育ててくれました。
 
1番最初の記憶はつかまり立ち。タンスの取っ手の低い所から少しずつ高い所に手をかけていき、だんだんと立ち上がる時の手ごたえのある感じが楽しかったです。
 
一歩一歩、歩くだけで両親が凄く喜んでくれて、自分もやれば出来る!と母の手を振りほどいて、何度転んでも立ち上がって自分1人で歩こうと頑張るのも楽しい思い出です。
 
ご飯は必ず全員揃ってから食べるのが日課になっていたのに、その頃歩くのが楽しくなり、もっと歩きたい!と食事の席に着かずに歩き続けていた時に、滅多に怒らない優しい父から「お母さんがせっかく食事を作ってくれたのだから一緒に食べなさい」と初めて叱られました。父から叱られたのは人生で2度ほどしかないうちの貴重な1回目です。
 
 
 
【1976年(3歳)〜保育所に入所】
 
毎日毎日プリンカップで砂の型抜きを作るのが大好きな職人気質な子ども時代。型が綺麗に抜けると達成感を感じ、型が崩れると次はもっと綺麗に作りたい!と、ひたすら型抜き作りに熱中して明け暮れていました。
 
同じ事を繰り返す中で、前よりもっと良いものを作りたい!と飽きずにひたすらコツコツと繰り返すのが大の得意な子どもでした。
 
家での1人遊びでは、オモチャよりも草や花を石でたたいたり、すり潰して、ままごと遊びを楽しむ子ども時代でした。
 
 
父は日雇い労働者がお金がない為に病院にかかれないという事から、お金がなくても、どんな人でも病院にかかれるようにという日雇い労働者の為の病院作りの立ち上げスタッフから参加して、病院の事務の仕事で定年で退職するまで「日雇い労働者でスーツを着る人は誰もいない」と、ほぼ年中半袖を貫いてました。
 
困っている人の為に働き、どんな人の事も偏見の目で見ない父の姿に心から尊敬していました。
 
父の親戚も中学校の校長先生や市議会議員、孤児院の施設の寮母さんなど、人の為に活躍する人が多く、大きくなったら私も人の為に働く仕事に就きたいと思っていました。
 
 
母は専業主婦で、貧しいながらも知恵と工夫でコツコツとやり繰りし、真面目だけれど天然でおっちょこちょいの母の姿に笑いの絶えない楽しい日々でした。お金はなくても人とのつながりを大切にしていた母は、いつも周りの人とのご縁を大切にし、人の悪口を言わない人でした。
 
そして私を生む一週間前に亡くなった、自分の母親(私の祖母)はお寺の娘で大変慈悲深かったと、よく思い出話を聞かせてくれました。


早くに自分の父親を亡くし、母親(私の祖母)も私を生む一週間前に亡くなって、親戚も同じ年生まれの赤ちゃんがいたり、両親の実家が九州と広島と、遠く離れて住んでいたりと、身近に頼れる人が居ない中で、母は必死の思いで私の事を育ててくれました。
 
 
 
【1978年(5歳)〜人との交流に目覚める(笑)】
 
入所してからずっと1人で型抜き遊びを楽しむ姿に、ひたすら寄り添ってくれた保育所の先生。「和ちゃんも皆と遊ぶと楽しいよ〜」と誘ってくれていた声に対して「なんで型抜きの楽しさがわからないの?」と思っていたけれど、だんだんと「ちょっとだけなら先生の言う事を聞いてみても良いかな〜」と先生の優しい寄り添いに心を傾けていき、入所して2年後にようやく集団遊びに参加するという、かなり手強い、頑固な子ども時代でした。
 
でも、自分のタイミングで参加して遊んでみたら、それがめちゃくちゃ楽しかった!(笑)「何でもっと早く先生の言う事聞かなかったんだ〜」とは思わないけれども、まぁ楽しい!ドッジボールやだるまさんがころんだ、鉄棒の足掛けまわりなど友達や先生と遊んで楽しむ日々。
 
優しい保育所の先生が大好きな時期でお昼寝のトントンが楽しくて優しい先生によく甘えていた頃。また、お泊まり保育の時に書いた絵が凄い!と褒めて貰って嬉しかったのも良い思い出。この頃からずっと心の中に保育所の先生が居ました。
 
住んでいた団地では色んな年齢の友達と縦割りで遊び、大きな年齢の子に憧れ、同じ事が出来るようになると嬉しかったり、小さな年の子に対しては「マメ」という、その子の成長に合わせたルールを考えるのが楽しかったです。ドンジャン、高鬼、色鬼、だるまさんがころんだなどで、よく遊びました。
 
 
【1979年(6歳)〜弟が生まれる】
 
弟の出産前に3ヶ月間、母が入院して、それまで病院でみんなが勤務しづらい夜勤を引き受ける事が多かった父と2人で一緒に過ごした、貴重な日々になりました。
 
住んでいた団地の隣の市民病院にお見舞いに行くと、いつも「お腹が空いた」という母を見て、子ども心に自分だけお腹いっぱい食べるのは申し訳ないと感じ、母の入院中ほぼ食事を摂らなくなりました。
 
自分の不慣れな手作りの食事が口に合わないのかと、私の事を心配した父は、近くの定食屋さんであれこれと色んなものを頼んでくれましたが、そんな父には悪いと思いながらも食事をする気分になれず、唯一食べてもいいかなぁと思ったのが卵かけご飯。ひたすら飽きずに卵かけ御飯を食べ続けた3ヶ月でした。
 
無事に産まれた弟はめちゃくちゃ可愛くて、母の真似をしてミルクをあげたり、おしめを替えたり、抱っこしたり、寝かしつけてそのまま一緒にお昼寝したりと、とにかくお世話が楽しかったです。赤ちゃんの可愛さにメロメロになった時期でした。
 
 
そんなこんなの幼少期でした。
振り返ってみれば、かなり変わった子どもだったんだなぁ〜と感じますが、当の本人はとても楽しく幸せな子ども時代でした。
 
 
 
〜小学校時代に続きます〜
 
 
 
今日も最後までお読み頂き
ありがとうございました。
 
 
*バリ島と日本の薬草(ジャムゥ)を使った
体質改善と、より日本人の身体に合わせた
ヒーリング効果の高いオイルセラピー
【オリエンタルジャムゥセラピー®︎】
 
*女性限定、1日1組のご褒美サロンです
 
『オリエンタルジャムゥセラピスト』
心和(ここな)  須藤和子