お母さんと子どもの和み処〜心和〜の日記

0〜5歳のお母さんと子どもが笑顔になれる場所を目指して活動しています。

自己紹介③

 
2018年4月1日から
アメブロでブログを始め
 
毎日欠かさずにブログを更新しながら
今日で4ヶ月と22日が経ちました。
 
 
昨日までに全147記事
読者登録は90人
 
アクセス数は
4月700人台
5月1000人台
6月2000人台
7月3000人台
本当に有り難い事です。
 
 
おかげ様で
2018年8月8日には
 
1日1組、女性限定で
バリ島と日本の植物の力を利用し
体質改善や手からの癒し効果が
期待出来るという
「オリエンタルジャムゥセラピー®︎」と
 
25年間勤めた公立保育所と療育園の
経験を生かして0〜5歳までの
「子育てアドバイザー」として
 
 
大阪府岸和田市にある
築100年以上の元茅葺屋根の
古民家自宅サロン
『お母さんと子どもの和み処〜心和(ここな)〜』
を無事オープンさせる事が出来ました。

 

 
 
 
 
 
皆さまに心から感謝申し上げます。
 
 
 
大阪府岸和田市の山手にある
お母さんと子どもの和み処『心和』
 
●オリエンタルジャムゥ®︎セラピスト
&子育てアドバイザー
 
『心和』オーナー須藤和子のプロフィール③
 
 
〜誕生から幼少期(0〜6歳)まではこちら〜
 
〜小学校から短大(6〜20歳)まではこちら〜
 
 
 
〜今日は就職から20年(20歳〜39歳)まで〜
 
 
 
【1993年(20歳)〜公立保育所に就職】
 
初めての勤務先は3世代が同居し、周りが山と田んぼに囲まれた農村地帯。毎日散歩に出かけ山登りや土手滑り、田んぼのあぜ道を歩きオタマジャクシやカエル見つけ、トンボ採りやザリガニ釣り、草花で花かんむり作りと自然の中で遊ぶ日々。
 
自然と共に過ごす子ども達は目を輝かせて生き生きと育ち、3世代の地域の環境も合わせ、大人と子どもと共に手を繋ぎあってみんなで育ち合えるのが何よりも子育てにとっては宝物なのだと感じました。
 
 
【1996年(23歳)〜結婚〜】
 
16歳の時に出会い、17歳からお付き合いしていた元夫とは23歳で結婚。結婚当初は団地住まいで狭いながらも楽しい我が家。
 
 
【2000年(27歳)〜妊娠、出産〜】
 
早く子どもを授かりたかったものの、なかなか恵まれず、結婚4年目に卵管造影の予約を入れた日に妊娠の神様と噂の産婦人科の名誉院長が目の前を通られ「妊娠の神様を一目見た人は授かるらしい」という噂にあやかるように卵管造影の検査の2日前の7月7日に妊娠が分かり「奇跡!」とビックリ!嬉しかったです。
 
妊娠がわかった2週間後には出血し切迫流産との診断。トイレ以外は安静にと寝たきり生活開始。つわりの時はトマトしか食べられず、生まれた娘もトマト好きで偶然に笑いました。
 
予定日の1日前に破水して病院に駆け込み、無事に出産。初めての出産で心細い中「出産は病気じゃないしみんな経験する事だから、それくらい我慢しなさい」的な看護師さんの事務的で厳しい言葉や態度に悲しくなるが、後から交代した助産師さんは「大丈夫よ〜」と何度も心温まる励ましの言葉をかけてくれたのが嬉しくて「この人でよかった!」と安心して出産できました。
 
出生直後に娘の足の指が1本曲がっている事に気付き「あっ」という看護師の動揺した声を聞き一瞬不安になるが「指がついていたら大丈夫!」と優しく諭すような助産師の声に「大丈夫なんや〜」とホッと安心。その後の子育て中も「大切な事は何か」という本質を見失わないようにしようと心の支えになりました。
 
物事は同じなのに、相手の言葉の掛け方や態度一つで気持ちが大きく左右される経験から「人への言葉がけや眼差しは相手に気持ちの良いものを送れるように心がけよう」と感じました。
 
生まれた娘は目に入れても痛くないという言葉通りの可愛さで、仕事の復帰までの10ヶ月ひたすら育児を楽しみ、仕事と家庭の両立の中でも「家の中では保育士にならずに、あなたのそのまんまでお母さんに」という娘の担任の先生の温かな言葉で「〜しなくちゃ」という思いから解放されて、ただただお母さん業を楽しむようになりました。
 
娘が生まれた年に、今の我が家がオープンハウスの広告に出ていて「自分達の力では建てられないから一度見に行くだけでも価値がある」と見に行き一目惚れ!ご縁を頂き引越しました。
 
村中の人はほぼ全員同じ名前という親戚一同の村でしたが優しく受け入れて下さり、町内の取り組み(大溝堀りやお地蔵様のお花当番や地蔵盆の提灯つけ、班の旅行、お月見の行事、子ども会や地車の仲間入り)など、外から来たからと仲間はずれにする事なく親子共々育ててくれました。
 
「今日は挨拶の声が小さくて元気がなかったから何かあったん違う?」「今日は家の鍵を忘れたらしくてウチの家でテレビ見てるよ」など、娘の事も村の中でみなさんのお力をお借りしながら大らかに育てて貰えたのが本当に有り難いです。だから村中の子ども達は素敵な子が多いんだなぁと、昔の謎が解消しました。
 
 
【2009年(38歳)〜夫の病気から共倒れ〜】
 
夫と共に村中の子ども会の四役をさせて頂いた年に、私も全国的な保育の集会の実行委員の副部長にあたり、仕事の合間を縫って大阪市内の会議に何度も参加。お世話になった皆さまのお役に立てる事に喜びを感じていた矢先に夫が病気で入院。
 
同時に色んな事が重なり過ぎて、看病疲れもあり私まで倒れてしまうが「入院すれば治るのは早くなるが、治りが遅くても母親は子どもの側にいた方がいい」との夫と私の共通の主治医の総合的な判断からの勧めで自宅療養をスタート。
 
食事も取れず弱り果て、ただ寝たきりの日々。何も出来ない母親だったが、小5の娘が「お母さんは息を吸って、息を吐いていたら、それで良いんやで〜」と言ってくれた時に、ハッと目が覚め、そこから玉ねぎの薄皮をむくように回復に向けてリハビリを始めて復活し、仕事にも無事に復帰できました。
 
元夫とはお付き合いから20年後に離別。「20年間寄り添ったから、ちょっと早い熟年離婚やと思ったらええかな〜。」と思えるまでは時間がかかりましたが、病院の先生の「あなたは何がしたいですか?どんな人生を送りたいですか?」という言葉は宝物になり、まずは自分の事を1番に幸せに大切にしよう!と思えるようになりました。
 
 
この20年間は何度も生死を意識するような、人生の最高の喜びや悲しみと思えるような経験する事で、「今」は一瞬で過ぎ去るから「とにかく生きてたら何とかなる!」「何があっても大丈夫!」「当たり前なものは何もないから目の前の事に感謝しよう」「この世は奇跡の連続なんだ」と一期一会の日々の出会いを大切にしたいと思うようになりました。
 
 
 
〜運命の出会いから起業の道に続きます〜
 
 
 
今日も最後までお読み頂き
ありがとうございました。
 
 
*バリ島と日本の薬草(ジャムゥ)を使った
体質改善と、より日本人の身体に合わせた
ヒーリング効果の高いオイルセラピー
【オリエンタルジャムゥセラピー®︎】
 
*女性限定、1日1組のご褒美サロンです
 
『オリエンタルジャムゥセラピスト』
心和(ここな)  須藤和子